蛇腹カメラ Pearl III 小西六
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私の父は、若い頃からの写真好きで、自分で引き伸ばし機を自作する程の入れ込みようだったようです。戦前・戦後を通じて貧しかった日本で、父もなかなか欲しいカメラを手にすることはできなかったようです。父にとって、夢のカメラのひとつであったのがこの「パールIII型カメラ」です。
4枚構成のヘキサー・レンズ(Hexar 1:3.5 f=75mm)は、当時の日本製の最高水準のレンズで、抜群の表現力を持った世界に誇れるレンズだと父は語ります。このレンズにセイコーの1秒〜1/500秒のシャッターを搭載したパールIII型カメラはまさにカメラ好き垂涎の的であったはずです。
それだけではありません。距離計連動といって、ファインダー内部の2重像を一致させるとレンズのピントも同時に合ってくれるという機構がつき(当時は目測が常識だった)、しかもフィルム巻き上げも裏面の窓からフィルムに印刷された数字を読み取るのではなくて、現代のカメラのようにカウンタが表示されるというのも画期的でした。
写真のカメラは、後になって父が入手したもので、入手当初は、蛇腹はぼろぼろで穴だらけ、シャッターは動作せず、フィルム巻き上げもうまく動かなかったそうです。それを、分解し、やすりで削って部品を作りようやく動作するようになったものの、破れた蛇腹では光がはいってしまって実用にはならなかったといいます。
父は、そのカメラを持って小西六(現在のコニカミノルタ)をたずねます。応対に出て来られた年配の技術の方は、カメラを見るなり、これだけ保存状態のよいパールははじめてみました、蛇腹を手で折れるのはもう私しかいませんがなんとかやってみましょう、とおっしゃり快く蛇腹の復元をしてくださったという話です。
今、そのカメラは私の手元にあります。父も歳をとり、視力が衰えて細かい機械いじりが少々苦痛になったといいます。
このカメラのレンズを生かすのはやはりモノクロ・フィルム。それも自分で現像できなければ、このカメラを使う資格はないものと理解しています。何度か失敗をしましたが、ようやく安定した現像ができるようになり、父からも「ちゃんとヌケのいいネガができたじゃないか。」のひとことをやっともらいました。40歳になって自分でフィルムの現像をすることになろうとは・・・まったく。
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