はじめてミラジーノを見た時は、そのMINIに似た顔つきにびっくりさせられました。MINI Cooperを模したペインティングのバージョンもあるようですね。「こっちは本物に乗っているんだ。ダイハツさん、下手な真似なんかするなよ。」と思ったものです。MINIは「本物」、ジーノは「贋物」、という構図です。実際、ネット上の掲示板などでも、ジーノは「まがいもの」と言う人も多くいるようです。
どうも人間という生き物は、群れては他のグループを指差して敵視する癖があるようです。そして、自分が属する陣営を正当化し、相対する陣営を非難するわけです。「本当はMINIに乗りたいくせに」と決め付けたり「贋物」呼ばわりしたり「まがいものに乗るくらいなら死んだほうがまし」などという怖い発言すら飛び交います。ジーノという車への敵視が、オーナーという人間の敵視にまで発展そうな勢いです。他の車をボロカスに言えるほどMINIは偉いのでしょうか。他人をボロカスに言えるほどMINIオーナーはセンスが良くて特別な人達なのでしょうか。
では、反対側から見て見ましょう。ジーノに乗っている人達はどう考えているのでしょうか。実際にインタビューしてみると、ジーノのオーナー達はMINIのことなどさほど気にしてなどいない、ということがわかってきます。つまり、この世にMINIがあろうがなかろうが、ジーノを選んだであろうということです。MINI乗り達が言うところの「本当はMINIに乗りたいくせに」説は全くのところ、MINIオーナー達の思い上がりにすぎません。それが証拠に、ジーノのオーナー達は、本心からジーノが好きになっているのであり、実におおらかにカーライフを楽しんでいる姿があるのです。それに比べると、前述したような発言をするMINIオーナーのなんと狭量なことよ、と思います。
ジーノに供給されているオプション・パーツは、何故かMINIに似せたものばかりで、ジーノらしいオリジナリティのあるオプション・パーツが少ないことに、ジーノオーナーは戸惑ってさえいます。ジーノが売れているのは、ジーノが単にMINIに似ているからではないのだ、ということをダイハツはもっと理解なければいけません。ジーノをベースにした、もっと魅力あるデザインの車を世に出して欲しいと思います。そして、それがオプティではないところが微妙なところなのです。ダイハツさん、わかりますか。ダイハツには、もっとジーノ・オーナーの嗜好や気持ちをつかんだアクションが求められているのです。
何故、このようなページを作ったのかといいますと、かくいう私も、恥ずかしながらそのような品格を欠いたMINIオーナーのひとりであったからです。MINIこそは伝統ある本物であり、MINI以外のMINIに似た車は歴史のないただの量産車だと思っていました。今は、そのことを思い出すだけで、顔から火が出るほどはずかしく思います。MINIという車は、確かにすばらしい造形美であり、他のいかなるモデルも真似ができないほどのロングランを続けた車です。しかし、一方でそのことがねじれたブランド意識を生み、傲慢さを醸成してしまったこともまた事実です。
(もちろん、MINIオーナーは、品格のある広い心を持った方が多いのですが、そうでない方もたまに見受けらますので、自戒の意味もこめてあえて書かせていただきました。)