1974年頃のことでしょうか、当時から、ヘッドホンの最高峰といえばSTAX製のコンデンサ・イヤー・スピーカでした。メインアンプの先に繋いで駆動するトランス式のアダプタを入手して、はじめて聴いたコンデンサ・イヤー・スピーカの音のすばらしさは、「これで、この世のすべてのヘッドホンもスピーカの要らなくなった」とさえ確信させるほどのインパクトを持っていました。それはやがて、トランスではなく真空管でじかにドライブしてみたい、という方向にエスカレートしていったのでした。
電圧が与えられた2つの電極は互いに引き合います。これが静電現象です。静電気によって髪の毛と下敷きが引き合ってくっついてしまうのも同じ理由によるものです。コンデンサ・スピーカは、まさにこの原理を応用して導電化された薄膜を振動させて音を出します。しかし、静電現象では引き合う力は生じても、反発する力は生じません。ここが一般的なスピーカで使われている磁力との違いです。そこで、コンデンサ・スピーカそのものをプッシュプル構造とすることで、2つの反対方向の引き合う力を作り出して、歪みのない振動を得る構造になっています(下図)。
導電性のフィルムを中央に置き、その両側を網状の固定電極で挟みます。さらに、中央の導電フィルムに対して+200(またはそれ以上)の直流バイアスを与えます。そうすることによって、導電フィルムと固定電極とが引き合い、緊張状態が作り出されます。こういう状態において、2つの固定電極に、互いに逆の位相を持ったオーディオ信号(-200V〜0V〜200Vp-p)を印加すると、導電フィルムは振動して音を出すようになります。これが、コンデンサ・スピーカの動作原理です。
右図は、STAX製のトランス式アダプタ(RSD-5)の回路図のエッセンスを抜き出したものです。コンデンサ・スピーカは、高インピーダンス、高信号電圧で動作します。そこで、メインアンプのスピーカ出力(8Ω)から取り出した信号を、トランスで昇圧し、これにバイアスを追加して、コンデンサ・イヤー・スピーカを駆動するようになっています。
バイアスのところにある抵抗(R)は、通常1MΩ以上の高抵抗を使います。これがないと、外部からの風圧等で導電フィルムが固定電極に接触した時に、ショート事故を起こします。ここでは単にバイアス電圧を与えるだけで、オーディオ信号は流れませんから、このような高抵抗でもかまわないのです。
これと同じ物を自作されるのであれば、5kΩ〜10kΩ:8Ωのプッシュプル用の小型の出力トランスを、1次2次反対に接続したもので代用できます。200Vのバイアスは、AC100Vを倍電圧整流したトランスレス式で問題ありません。
右図は、STAXが自作用として推奨している回路のブロック・ダイアグラムです。ちゃんとした回路図があったのですが、長い年月が経つうちにどこかに滅失してしまいました。目くじらを立てて捜索する程の回路でもなく、12AU7の1段増幅の後、P-K分割の位相反転が続き、最後に12AU7のプッシュプル1段が来ておしまいです。凝ったところはひとつもなく、誰でも簡単に組める構成になっています。
回路定数は失われてしまいましたが、各段ともに負荷抵抗の値は47kΩで問題ないと思います。利得は、初段が約14倍、次段が1倍、終段が約14倍で、全体で200倍程度の利得であろうと思われます。
では本題です。最初に試作したアンプは、以下のような回路構成でした。
97倍の利得を持ったトランジスタ2段増幅回路に続いて、12BH7Aのムラード型位相反転回路を直結しています。終段12BH7Aの入力電圧の最大値はせいぜい7V程度またはそれ以下ですから、150Vなどという高い電源電圧は不要なのですが、直結にしたいばっかりにこのような電圧配分になりました。当時は、耐圧150V以上のシリコン・トランジスタを探すのに苦労したものです。
現在ならば、前段の電源電圧は50V程度にしておき、12BH7Aの共通カソード側に定電流回路を挿入して、終段の有効電源電圧をわずかでも稼いだと思います。トランジスタ2段構成の前段は、12AU7の2段増幅に置き換えることもできるでしょう。
12BH7Aの共通カソード抵抗がわずか15kΩしかないため、位相反転精度はかなり落ちていると思います。ちなみに、このアンプで使用した12BH7Aはすべて道端に捨てられていたテレビから失敬したものです。12AU7や12AT7などに差し替えたりもしてみましたが、どの球であっても十分実用になりました。
位相反転を兼ねた出力段は、こんな程度のものでコンデンサ・スピーカを十分駆動できるのかどうか少々不安でしたが、やってみればこれで特に問題はありませんでした。もっとも、当時はまともな計測器など手許になく、もっぱらテスターだけがたよりでしたので、ほんとうのところはわかりません。
このアンプを設計したのは、今から25年ほども前のことであり、今思えばあちこちに注文をつけたくなりますが、当時の私にとってはこの程度の設計が精一杯でした。STAXのコンデンサ・イヤー・スピーカをフル・ドライブするには、実はこのアンプの能力ではまだ物足りません。電源電圧は、最低500Vは欲しいところです。それでも、このアンプから出てきた音は、当初手に入れたSTAX製のトランス式アダプタとは一線を画した、じつに透明でのびやかなサウンドでした。比較的簡単な回路でOKですから、STAXのコンデンサ・イヤー・スピーカをお持ちの方は、是非、このような専用アンプを製作されることをおすすめします。