弟子 「今日のテーマはなんですか。」 師匠 「様式ってのはどうだい。」 弟子 「なんですか、それ。」 師匠 「わからないか。どうも現代の日本人には、『様式感』が欠如してしまっているようだな。」 弟子 「昔学校で、バロック様式とかロココ様式なんて出てきましたけど。」 師匠 「たとえばね、ひとことで『和風』と言っても、実に様々な様式があるだろ。畳さえ敷いてあれば和風なのか、というとそうではないよね。」 弟子 「畳をなくしてフローリングにして、椅子とテーブルの生活にしたからといって洋風にはならないっていうことですかねえ。」 師匠 「もし、部屋にアルミサッシがあって、そのサッシが床から立ちあがっていたら・・・どこのマンションにもある掃き出しというやつだな・・・この時点でこれは、現代和風建築になっちゃうわけだ。」 弟子 「あれえ、掃き出しって、和風なんですか。」 師匠 「洋風建築のほとんどは掃き出しなんていうものはないからね。掃き出しという構造は日本独特のもので、障子の紙をガラスに変えたもんだからね。そして、戦後の復興期の手狭な2DK住宅の名残なんだよ。だから、和風さ。」 弟子 「板の間にキッチンとダイニングがくっついて、ほかに6畳間が2部屋ばかりあるってやつですね。」 師匠 「掃き出しのその先にはベランダなんていうものがあってだな、大抵は物置やら洗濯機がころがっている。まさに、純和風的生活様式だな、これは。」 弟子 「ということは、どこにでもある普通のマンションも和式・・・なんですか。」 師匠 「そうだよ。ああいう建築様式は西欧にはない。しかもだな、ベランダにひらひらと洗濯物を干す、なんていうのが許されるのは日本と中国だけだろう。」 弟子 「えっ、ベランダに洗濯物を干しちゃいけないんですか。」 師匠 「あたりまえだろうが。物置を置くなんていうのも、反則だね。」 弟子 「でも、どのお宅でも当たり前にやってるじゃないですか。」 師匠 「近所のマンションをよく観察してごらん。洗濯物を高々と干している家と、手すりより下に目立たないように干している家とがあるよ。もちろん、後者の方が圧倒的に数は少ないけど。以前、僕がマンションに住んでいた時は、ベランダを物置になんかしなかったよ。もちろん、洗濯物は目立たないように干せるような器具を取りつけたさ。」 弟子 「はあ、そういうもんですかねえ。」 師匠 「美的センスの問題だよ。道行く人や、お向かいさんから見た時にね、あからさまにおとうちゃんのパンツが干してあったり、ブサイクな物置やきたならしいガラクタがベランダを占領していたら不愉快じゃないか。自分以外の周囲、つまり社会からみてね、心地よく美しい景観ってものがあるだろ。」 弟子 「今までそういうことは考えたことがありませんでした。」 師匠 「日本ではね、そういうことを考える奴と、考えない奴とが同じ街、同じマンションに住んでいるんだよ。ヨーロッパでは、そういう2種類の人間はそれぞれ別の地域に住んでいるからね。」 弟子 「が〜ん、師匠からそういうことを言われるとショックです。」 師匠 「そうかい、そうかい。十分にショックを感じてくれたまえ。すくなくとも、このHomePageに出入りをするんだったら、それくらいの美的関心やセンシティビティは持ってもらわないとな。」 弟子 「確かに、日本人って、町並みや景観に対して鈍感ですね。平気でゴミ捨てるし、つばをはくし、歩き煙草をするし、その吸殻を投げる。」 師匠 「僕からみて不思議でならないのは、なんで日本の住宅はどれもこれもベランダをつけたがるのかってことだ。狭い長屋のようなアパートにさえベランダがついていて、それが何の機能も果たしていないんだな。」 弟子 「ベランダにテーブルと椅子を出して、お茶を飲むとか。」 師匠 「どこにそんな雰囲気があるんだい。隣近所から丸見えだし、だいいち、蚊に刺される。」 弟子 「あははは、全然だめですね。」 師匠 「建築家も、住む奴も、何にも考えてないとしか思えないね。」 弟子 「たぶんね、ベランダがついてないとそのマンション、売れないんじゃないですか。」 師匠 「実は売れるんだ。ただし、買う奴が少ない。麻布や広尾のアパートメント・・・マンションじゃないぞ・・・のいくつかには、ベランダのないのがある。」 弟子 「どういう人が住んでいるんですか。」 師匠 「美的センスとお金の両方を持っている奴が住んでいる。」 弟子 「あ、そういう家、見たことがあります。窓際に洒落たスタンドかなんかがあって、外にまでいい雰囲気が伝わってきてました。」 師匠 「鋭い観察力じゃないか。」 弟子 「ちょっと外から見ただけなのに、なんで、ああいう風におしゃれな感じが出せるんですか。」 師匠 「それは、天井に蛍光灯がついていないからだよ。」 弟子 「でも、家の照明のセオリーとして、まず、主照明というのがあってこれが天井につくわけですよね。」 師匠 「その主照明ってやつが、日本の住宅を駄目にしちゃったんだよ。」 弟子 「あれって、いけないんですか。」 師匠 「明るきゃいい、テレビが見れて、メシが食えて、寝ることができればいいっていう人はそれでもいいけど。人を招いて楽しく食事をしたり、家族で食後におしゃべりをしたり、ひとりで寛いで音楽を聞いたり本を読んだりしたいならば、まず、天井のド真中にへばりついている蛍光灯をはずしなさい、と言いたい。」 弟子 「はあ。」 師匠 「居間だったら、壁際や窓際にスタンドを配置するか、ブラケット・・・壁に取り付けるタイプの明かりね・・・にするんだ。補助として、天井にダウンライトをつけておけば、明るさが足りない時に足しになる。」 弟子 「なんか、高級ホテルみたいですね。」 師匠 「そしてね、できるだけ蛍光灯は使わないことだ。マンションの品格はね、夜景ですぐにわかるんだよ。マンションの各部屋を見渡して、蛍光灯がびらびらびらっと並んでいたら安手のマンション、ほんのりとやわらかい明かりが漏れていたら高級アパートメントってことだね。」 弟子 「でも、どうして主照明なんていう制度ができちゃったんでしょうか。」 師匠 「正確なところは僕にもわからないけど、我々日本人はどうも明るければそれでいいっていう発想があるみたいだよ。だから、昭和40年代に一気に白熱電球が蛍光灯に置き換えられていった。もっとも、これは電器メーカーの販売戦略だったんだ。蛍光灯は値段が高いからはじめのうちはさっぱり売れなかった。そこで、電気代が安いの、明るいの、寿命が長いのって理屈をこねてマーケットを洗脳しちゃった。でも、貧しかった我々は1部屋に1個しか買えない。」 弟子 「部屋の明かりを1個で済まそうっていうことになると、主照明しかないですね。」 師匠 「それもできるだけ明るいやつね。実際、白熱電球では1個で部屋全部を明るくなんかできないから蛍光灯になっちゃった。以来、家庭の明かりは蛍光灯に決定されちゃったわけだ。」 弟子 「でも、天井の真中から明るいの一発ピッカーンでは、雰囲気も何もないですね。」 師匠 「そういう生活をしている人だって、照明に工夫をこらしたいい雰囲気の家に行ったら『おおっ、いいなあ』って感じるんだ。それなのに、自分の家ではどうやったらいいかわからない。」 弟子 「そりゃそうですよ。学校では習わなかったし、誰も教えてくれないじゃないですか。」 師匠 「日本人はね、人と違うことができないんだよ。みんなが蛍光灯つけてるから、それに逆らってはいけないんじゃないかって思うみたいだね。近所付き合いの和にひびがはいっちゃうんだな。」 弟子 「家を作る側も、照明とはそういうもんなんだ、と信じて疑わないんでしょうね。」 師匠 「ま、いろいろだね。以前、マンションのリフォームをお願いした工務店は、インテリアや照明に関しては実に造詣が深かったけど、今の家を建てた工務店ははなから蛍光灯びらびらの主照明で提案してきたよ。すごいギャップだったね。」 弟子 「で、どうなさったんですか。」 師匠 「しょうがないから、照明は全部僕が設計した。カーテンも、提案してきたものは全部NGで結局全部自前になっちゃった。そもそも、指定されたメーカーには気に入った柄がひとつもなかったんだよ。言うとおりにしていたら、品のない安手の結婚式場みたいな内装になっていたと思う。今でもあちこち問題はあるんだけど。」 弟子 「師匠、お話を伺っていると、現代日本には現代日本の様式っていうものがあるように思えてきたんですけど。」 師匠 「好き嫌いは別にして、そういう様式は世界的に認知されているよ。『Tokyo Style』っていうんだ。」 弟子 「えっ、そんなのあるんですか?」 師匠 「あるある。どういうのかというと、お金がない人の場合は、雑然とした狭い畳の部屋に安手のカーペット、壁にはポスター、床には雑誌やらCDやらが積んであって、テレビとちゃぶ台とパソコンと食器棚とコンロがすし詰めになっているような部屋ね。もちろん、天井には蛍光灯が一発ね。」 弟子 「お金がある場合は?」 師匠 「センスの悪い成金芸能人のお宅みたいに、猫足の椅子とヴィクトリア様式のテーブルとギリシャ風の柱が隣り合わせになっていて、そこにもらい物の壷やら人形やらゴルフの賞品やらが雑然と並んだ家になるんだ。」 弟子 「ちょっとやりすぎなんじゃないですか。」 師匠 「どこにでもある日本住宅事情を良く表現していると思うよ。」 弟子 「まあ、それはそうですけど。ちょっと、格好悪いなあ。」 師匠 「我々が思っている洋風の日本住宅っていうのは、貧しく歪んだ戦後史の総決算みたいなところがあるから、いやしくも、正統派西洋かぶれを標榜するんだったら、ちゃんと勉強し直さなければいけないってわけだよ。」 弟子 「実践するとなったら、お金かかりそうですね。」 師匠 「お金かかるよ、とっても。贋物はすぐにばれるからね。でも、それよりもものの考え方や買い方を根本的に変えなければならないんだけど、できるかな。」 弟子 「何をどう変えるんですか。」 師匠 「まず、豊かな現代日本的消費生活からおさらばしなければならない。」 弟子 「物を買うなっていうんですか。」 師匠 「すぐに駄目になるものや、流行のもの、安手のものを買ってはいけない。自分が死んでからも、誰かが使いつづけられるようなもの、痛んでもちゃんと修理する価値があるようなものを選んで買わなければならないのだね。」 弟子 「どういうものですか、それって。」 師匠 「家具に照明器具、カーテン、壁や床といった内装ね。バルコニーに門扉、石材、煉瓦、植栽といったエクステリア関係もだ。」 弟子 「なんだか高くつきそうですね。」 師匠 「そうだよ。うんと高いよ。しかもね、気に入った物を見つけたり手に入れたりするのには時間や手間がかかるんだね。煉瓦にしても、色や材質にこだわったら、1個100円、200円じゃ済まなくて、1個500円以上しちゃう。それに、順番待ちの注文生産だったり、海外から送ってもらったりしなければならないだろ。設計や工事だって1日じゃ終わらない。いつでも完成品が店頭に並んでいて、行ったその日に持って帰れる、すぐ使えるなんていうものの方が珍しいんだから。」 弟子 「そういうのって、日本人がいちばん我慢できないパターンですね。」 師匠 「時間をかけて作る楽しみだとか、何ヶ月も待つ楽しみっていうのがわからないと、西欧の文化を理解したり、様式を自分のものにすることはできないよ。それでも、自分がまだ生きているうちに実現できるんだったら、まだましなんじゃないの。」 弟子 「うへえ。ついてゆけないなあ。」 師匠 「1度でいいから、注文してから2〜3ヶ月しないと手に入らないような買い物をやってごらん。人生観変わるから。」 弟子 「せっかちな日本人がいちばん苦手な買い物のスタイルですよ、これは。」 師匠 「買い物だけじゃなくてさ、何か実現したいことがあったら、時間をかけて自分の力でこつこつと実現してゆくってのも、とても意味があるね。」 弟子 「お金を出せばすぐに手に入るようなものでもですか。」 師匠 「ルッコラのサラダを食べたかったら、ルッコラの種を買ってきて苗床作って育ててみるとか、クリスマスにダークフルーツケーキを作りたかったら、秋口からフルーツのラム酒漬けなんかを作りはじめるとかね。」 弟子 「そういう生活にはちょっとあこがれちゃいますけど、なかなかできません。」 師匠 「様式を理解し、それを生活に取り込んでゆくっていうことはね、時間をかけてその国や土地の文化を理解し、自分の手でこつこつと実践してゆくということなんだよ。時間はお金で買えても、文化はお金だけでは買えない。それを支えているさまざまな知識や経験がいるんだ。」 弟子 「そういえば、我々の周囲のあらゆるものが、ちぐはぐでごちゃまぜですね。」 師匠 「様式感がないまま、いいな、と思ったものをうわべだけ片っ端から取り入れてしまったために、全体の雰囲気が破壊されてしまっているんだよ。都市部を中心にして、日本中がそういうごちゃまぜスタイルになってしまっている。」 弟子 「そのうわべだけっていうところが問題なんですね。」 師匠 「よくわかっているじゃないか。なんでそうするのか、という時代背景や文化を理解しないまま、西欧風のさまざまなものを取り入れてしまったんだね。要するに勉強してないのよ。ちゃんと勉強していたら、猫足の椅子とヴィクトリア様式のテーブルとギリシャ風の柱が隣り合わせなんていうことはなくなるんだ。」 弟子 「衣食住、あらゆる局面でそういうことがいえますね。」 師匠 「ま、せいぜい、勉強して己を磨いてくれたまえ。」
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