可能な限りシンプルな構造で、製作が簡単で、それでいて鑑賞に耐える初心者向けのオーディオアンプを作ろうとして、出てきたのが全段差動PPアンプだったというのが2004年4月の「情熱の真空管アンプ」でした。思えば初心者のみなさんに一人前の真空管式プッシュプルアンプを作らせようとしたわけで、これに付き合って頑張って製作された方には本当に敬意を表します。もうちょっと敷居が低いものはできないかと思っていろいろ考えた末に出てきたのがシングル式のミニワッターで、これが2011年11月のことです。さて、もっともっとシンプルで、製作が容易で、かつ超廉価な真に初心者向けのオーディオアンプはないものか・・・・それだったら市販のパワーアンプICでも使えばいいではないか、という方向には進まずに、やっぱりディスクリートで出てきたのが本シリーズです。
何故、半導体なのか、それはなんといっても廉価、手軽、工作が容易・・・ということでしょう。はじめてのオーディオ工作というと、ヘッドホンアンプかパワーアンプかいずれか、ということになるのですが、ヘッドホンアンプから入るのであればこちらの「FET式差動ヘッドホンアンプ Version 3」をおすすめします。パワーアンプからというのであれば、本ページ(Part1)を読んでいただいてから、実際に製作するのは「トランジスタ式ミニワッターPart2」がおすすめです。こちらの方がアンプとしてのポテンシャルが高いですから。
<コンセプト>
基本方針は以下のとおりです。
- 最大出力は約1W。
- 電源は700〜800円程度のACアダプタを使う。
- 増幅回路は極限まで簡素化した1段構成。
- トランジスタはチャネルあたりたったの4個。
- OPアンプなどのブラックボックスは使わない。
- 老眼でもつらくないように平ラグで作れる。
- しかも、ステレオの全回路が20P平ラグ1枚または10P平ラグ2枚に載る。
- 実用性のあるかなりまともな音を出す。
- 製作費はできるだけお財布に優しく、6,000円くらいから、かなり贅沢をしても10,000円程度。
このWebサイトの製作記事の多くは真空管アンプやJFETを増幅に使ったものです。バイポーラトランジスタは、もっぱら出力段のバッファ回路または電源回路で使用していて、増幅回路自体に使った例はほとんどありません。その理由は、バイポーラトランジスタによる増幅回路の設計・実装の難しさにあります。6DJ8のようなgmが非常に高い真空管は、ちょっとしたことで発振したり動作が不安定になりなかなか手を焼きますが、バイポーラトランジスタはさらに桁違いにgmが高い増幅素子であるため、かなり注意していても発振や不可解な動作不安定に悩まされます。そうした理由から誰が作っても安定して動作し再現性がある回路をめざしている私としては、なかなか採用に踏み切れないというのが正直ところです。
半導体式なら真空管式の1/3以下の費用で作れますし、なんといってもシャーシ加工が簡単です。以前から、半導体式で初心者でも作れる1Wクラスのパワーアンプはできないものかと、新幹線の車内とか仕事の合間にどこかのカフェで、いつも持っている思考用のスケッチブックに構想や回路図を書いてはそのままになっていたものがありました。本機の基本回路のスタートラインはじつは「わたしのおもちゃ箱」の中にあるこのヘッドホンアンプです。
http://www.op316.com/tubes/toy-box/hpamp.htm
回路は右図のとおりで、JFETの1段増幅に後ろに1段のSEPP-OTL回路をつけただけのものでした。
1段増幅ですので反転増幅器となり、負帰還は出力から入力にじかにかけています。ヘッドホンくらいならこれでなんとかドライブできますが、4〜8Ωのスピーカーを鳴らすとなるとこのままでは無理です。増幅回路が1段だけというのは、ある意味非常識だといえます。利得が低いので十分な負帰還をかけることができないため、帯域特性・歪み率特性ともにかなり劣ったアンプにならざるを得ません。アマチュアのアンプビルダーからみても、選択肢にすら入ってこない劣った回路ではないかと思います。それにもかかわらず、なんとか使い物にできないかと捨てずに考え続けていたのは、反転増幅器は音が良いものを作りやすいということと、抜群の安定度を持っているからです。
出力段は、大電流出力に対応するためにSEPP-OTL回路を2段にするというのが常套手段ですが、SEPP-OTL回路は1段にして前段の増幅回路に非常多くのコレクタ電流を流すという方法もあります。但し、この方法は電力効率が悪い上に大出力には全く向きませんので、メーカー製のアンプでこの方式を採用しているものは皆無と言っていいでしょう。しかし、出力段がたった1段構成のSEPP-OTL回路によるパワーアンプというのは、じつは私自身は過去にいくつも作っています。以下の2例は共に増幅回路は全体で2段構成ですが、出力段はいずれも1段構成のSEPP-OTL回路です。
回路図が見難くてすいません。どちらの例も出力段は1段のSEPP-OTLで、前段が2個のトランジスタによるダーリントン接続による増幅回路となっています。数W以下の小出力アンプであれば、この方式は結構現実性があります。
このようにして、いくつかの思い切った割り切りをすると、たった4個のトランジスタでもパワーアンプが作れてしまうというわけです。
<試作機による全体構成の検討>
前述のヘッドホンアンプの回路をベースにして、4〜8Ωのスピーカーを駆動できる回路にアレンジしたのがこの回路(下図)です。初段の2SC2240と次段の2SC4408は、実質的にはダーリントン接続(※)になっており、増幅作用はもっぱら2SC4408が受け持ちます。出力段は、2SC4881と2SA1931のコンプリによるSEPP-OTL回路(※)です。
※ダーリントン接続・・・・2個のトランジスタを使い、前のトランジスタのエミッタ電流=後続のトランジスタのベース電流、となるような接続方式。hFEは2つのトランジスタの掛け算になるため非常に高い値が得られる。
※コンプリ・・・・コンプリメンタリ(complementary)の略で和訳すると相互補完。逆極性でほぼ同じ特性を持った一対のNPNトランジスタ(2SCや2SD)とPNPトランジスタ(2SAや2SB)を組み合わせて使う場合の呼称。
※SEPP-OTL・・・・Single-Ended Push-Pull Output TransformerLessの略。出力トランスを使ったプッシュプル回路が2つの出力端を持つのに対して、この回路は出力端が1個であることからこの名がついた。OTLは出力トランスを使わない出力回路の総称。
この回路をブロック図にすると以下のようになります。
実質的な増幅を行っているのは2段目の2SC4408だけで、初段の2SC2240は単に高い入力インピーダンスを得るための働きしかしていません。むしろ、電圧利得的には減衰すらしています。
出力段ですが、8Ωの負荷で1Wのパワーを出した時に出力段トランジスタに流れる最大電流は0.5Aになります。出力段トランジスタのhFEが150くらいだとすると、ベース電流は0.5A÷150=3.3mAになりますので、この出力段をドライブできるためには前段のコレクタ電流は3.3mAよりも十分に多くなければなりません。
というわけで、2SC4408には29mAほどのコレクタ電流を流しており、コレクタ負荷抵抗は180Ωという低い値になっています。2SC4408のhFEが180くらいだとして、この増幅回路の入力インピーダンスはざっと計算して160Ωくらいになります。これでは低すぎてパワーアンプとしてはお話になりません。そこでhFEが格別高い2SC2240のBLランクを追加して100kΩ以上の入力インピーダンスを得ています。
次に、回路全体の安定度の確保ですが、出力段のバイアスは2個のシリコンダイオード(10DDA10)の順電圧によって得ています。バイポーラトランジスタのベース〜エミッタ間電圧の温度特性とシリコンダイオードの温度特性はほとんど同じですので、この2つをくっつけて熱的に帰還がかかるようにしてやれば出力段のアイドリング電流の安定は確保できます。もっとも、エミッタ側に1Ωがありますので、熱結合をしなくてもこの出力段のトランジスタが熱暴走を起こすことはありません。
SEPP-OTL回路から効率的にパワーを取り出すためには、出力段の2つのトランジスタ(2SC4881と2SC1931)の両エミッタ間の電圧(俗に中点電圧などという)は電源電圧のおおよそ1/2で安定させる必要があります。これは、出力段の中点から初段2SC2240のベースにDC帰還をかけることで安定を得るごくオーソドックスな方式を採用しています。2SC2240と2SC4408の2つのトランジスタのベース〜エミッタ間電圧の合計は約1.2Vですので、ここに入れた120kΩには10μAほどの電流が流れます。2SC2240のベース電流は0.4μA以下ですので、470kΩに流れる電流は10μA+0.4μA=10.4μAとなり、出力段の中点電圧は約6Vに落ち着いて安定するわけです。
2SC2240と2SC4408による増幅回路の利得は70倍くらいですが、出力段で若干のロスがあるので、アンプ全体の利得(無帰還時)は60倍くらいでしょうか。負帰還は、入力のところに入れた47kΩと、220kΩと470kΩの合成値(=150kΩ)とで決まります。但し、120kΩの存在が若干のロスを作りますので、仕上がりの利得は3倍前後になります。
<テストと試行錯誤>
試作機による実験でわかったことは以下の3点です。
(1)各部の電圧配分やDC動作はほぼ意図したとおりであった。
(2)最大出力で波形はクリップした時に、マイナス側の半サイクルで2SC4408のコレクタ〜エミッタ間電圧がゼロに近づく状態が続くと局所的に発振現象が生じる(左下の画像・・・線が膨れて見える)。この問題は、2SC4408のエミッタ側に1Ωの抵抗を入れることで解決しました(byかつ氏のアドバイス)。但し、これによって増幅回路の利得は低下しました。
(4)出力段のアイドリング電流が90mAほどもあり、ちょっと多すぎる。アイドリング電流が多ければよりA級動作に近づくわけですが、その分消費電力が大きくなり、出力トランジスタの温度は高くなります。これは10DDA10と2SC4881/2SA1931の相性の問題なので、順電圧が若干低いUF2010に変更することで50mAくらいになりました。参考のために代表的なシリコンダイオードの順電圧の実測データを当サイトのデータライブラリから引用しておきます(右上のグラフ)。アイドリング電流はもっと減らしてもいいのですが、回路を複雑にしたくないのでこれでよしとします。なお、50mAというのはダイオードを出力段トランジスタに密着させた場合で、密着させないで周囲温度によるゆるい結合の場合は70mAくらいになりました。
(3)出力段のエミッタ抵抗(1Ω)によるロスが生じているので、これをもう少し減らしたい。1Ωに2.2Ωを抱かせて0.68Ωとしました。これで最大出力は10%ほどアップしました。抵抗2本を組み合わせたのは、0.68Ωのカーボン抵抗器や金属皮膜抵抗器が入手できないためです。1W型の酸化金属皮膜抵抗なら0.68Ωが容易に手に入ります。
(5)もう少し利得を増やせないか。2SC2240のエミッタと2SC4408のベースが直結していいるので、なりゆきで2SC2240のコレクタ電流=2SC4408のベース電流ということになっています。この条件ですと50%ほどの利得のロスが生じるので、2SC2240のエミッタ側に5.6kΩを追加して2SC2240のコレクタ電流を120μAほど増やしてやり、若干の利得アップをはかりました。また、入力のところの120kΩの存在が利得ロスを作っているので、180kΩに増やすことでわずかですが利得アップに貢献しています。
<全回路図>
試作回路による実験を経て改良された基本回路が下図です。
入力の47kΩ・・・この値が本機の入力インピーダンスを支配します。本機の入力インピーダンスは50kΩです。入力インピーダンスが低くてもかまわない場合は、抵抗値を減らした方がさまざまな理由で有利になります。
スピーカー出力と並列の470Ω・・・スピーカーを接続しない状態で電源ON/OFFした時に、過渡状態から早期に回復させるための抵抗です。
電源の1Ω・・・電源ON時に電源の2個のコンデンサ(3300μF)への充電電流によってACアダプタ側の過電流保護回路が誤動作しないための電流制限の目的と、微力ながら電源のノイズフィルタの機能を兼ねています。
<平ラグのパターン>
平ラグのパターンは下図のとおりです。
平ラグの製作のポイントは、出力トランジスタ(2SC4481/2SA1931)のベース回路の2個のダイオードの取り付け方法です。トランジスタとダイオードを熱的に結合するために、トランジスタの肩のところにダイオードを耐熱エポキシボンドで貼り付けておき、これ「コ」の字型に配線してあります。線材は0.28mm径銅線でホームセンターで売っていたものです(希望される方には頒布しています)。本機の設計ではこのような密な熱結合は必須ではなく、周囲温度でのゆるい結合でも出力トランジスタが暴走することはありません。熱結合しない場合は出力段のアイドリング電流が30%ほど増加するだけです。
<試作機の特性>
電源電圧=12Vの時の無信号時のチャネルあたりの消費電流は約80mAです。8Ω負荷における最大出力時で約0.2A、4Ω負荷における最大出力時で約0.3Aに増えます。ステレオで使用する場合のACアダプタの電流容量は1A以上のものを推奨します。
周波数特性は左下のとおりです。アンプ本来の帯域特性はもっと広いですが、位相補整コンデンサの容量が回路定数に対して10pFと大きめであることと、10pF未満でオーディオ用途に適する特性のコンデンサは入手が困難であるため、これでよしとします。右下は左右チャネル間クロストークです。バラック組みのむきだしの状態で測定したので、ノイズフロアが上がっていますし、高域側の特性はあてになりません。確実にいえることは、10Hzでもそれほど悪化せずに-70dBが確保できたことと、広帯域にわたって相当に良好だということです。
歪み率特性はご覧のとおりです(下図左)。右上がりの直線グラフは、2次高調波がかなり存在するということを語っています。これだけみると小出力のシングルアンプかと思ってしまいます。歪み率が5%となるのは、8Ω負荷で1.25W、4Ω負荷では1.7Wです。このデータは1kHzの時のものですが、100Hzでも10kHzでもほとんど重なって区別がつきせん。そこがディスクリートならではです。比較のために12Vで動作するパワーアンプICのTA8207Kのメーカー発表データを位置を揃えて並べておきます(下図右)。最大出力ではパワーアンプICにかないませんが、0.1W以下の重要な領域における歪み方では本機の方が圧倒的に優れています。
<プチ・チューニング>
全く大した効果ではないのですが、2SC4408のエミッタ抵抗を1Ωから0.5Ωに変更することで負帰還量が微増し、歪み率が全般的に1〜2割減となることがわかりました。左側のグラフが歪み率特性で、黒線が元の値でオレンジ色の線がチューニング後の値です。耳で聞いてわかるような効果はなく、まあ、やらないよりがましくらいのものです。なお、エミッタ抵抗値を減らしたことによる弊害はありません。ほかに、2SC2240のエミッタ抵抗(5.6kΩ)もいろいろな値を試してみましたが、結局元の5.6kΩに落ち着きました。
右側のグラフはダンピングファクタ値です。青い線が元の値でオレンジ色の線がチューニング後の値です。